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開業7周年ってことで、開業当初を振り返ってみる件。

考える人

私が「行政書士」という職業を目指したのは(唐突な自分語り)、非常にしょうもない理由からでして。

今の会社辞めたいけど、もういい年だから、次の仕事を決めてからじゃないと辞めれない。
でも、同じ業界にいてもしかたがないと思うから、何か新しいことで、しかも、これまでの経験(総務・法務・労務)が生きそうなのがいいな(わがまま)。

お!なんか「行政書士」っていう法律職があるみたいやな!
しかも、合格率も比較的高くて目指しやすそう!これにしよ!

こんな感じでした。

つまり、

「行政書士試験に合格すれば夢の未来が待ってる」

なんて、そんな風に思っていたクチなんですよね。私も。

何も「戦略」とか「方針」とか「将来像」なんて持ってなくて。

 

当然、そんな簡単なものじゃないわけで。

 

パチンコ業界ってね、簡単だったんですよ、昔は。

「お店を開ければ、多かれ少なかれ、パチンコしたいお客さんが勝手に来る」

そういう土壌でしたから、いわゆる「営業活動」っていうのは簡単だったんです。

というか、そういうものを知らなくてもお店ができちゃうんです。

(逆に必要なのは「管理」とかのほうで。)

 

そんな人が、行政書士としてデビューして、どうやって自分の商品を売っていけるのかって、売れるわけないんですよね。

売り方知らないからね。

パチンコ店時代に「マーケティング」という言葉の意味は分かっていたつもりでしたが、実際、何にもわかってなかったですね。

わかってたら、何をしたらいいかわかったはずなんですよね。

商品すら決まってなかったし(笑)

 

当時の私の唯一の財産は、「前職時代で管理職になって以降コツコツ集めた名刺の束」でした。

面識のない人に売り込む技術勇気もない私が、唯一できた営業活動らしいことは、「転職したので挨拶させて下さい」でした。

これしかできることがなかったんですよ。

 

やってみるものですね。

半分くらいの方は会ってもらえませんでしたが、残りの半分の方は会ってくれました。

ご祝儀かもしれませんが、すぐに仕事をくれた方もいましたし、何年か経ってから困っている方を紹介してくれた方もいました。

ありがたいことでした。

とは言っても、それだけでご飯が食べられるほどのお仕事の量になったわけではありません。

 

でも、収入があれば「他の何かができる」んです。

飯は食えなくとも、チラシの印刷ができる。

ホームページが作れる。

異業種交流会に参加できる。

もっと言うと、電車に乗って、どこかに行けるんです。

収入がないとこれすらできない。すべて持ち出しで、貯金を崩し続けないといけないので限界がやってくる。

 

私の場合、奥さんが「当面の間は私が稼ぐから、飯の心配はするな」と言ってくれていたので、後背を憂う必要がなかったのが大きかったですね。

飯を食うために「行政書士事務所の経営」以外のこと(常勤のアルバイトとか)をやらないといけない、ということがなかったですから。

 

そして、開業後2年が経過した頃に、「民泊の許認可手続き」を経験し、

「これは自分の主力商品になる!」

と気づいて、商業的な行政書士事務所の経営ができるようになり、この頃から飯が食えるようになりました。

 

この気づきが転機になって7周年に至った、というわけですな。

 

本当は、もっと委細を書いてもいいのですが、これくらいにしておきます。

 

何でこんなことを書こうと思ったか?

某所で同業者さんが「仕事がありません、どうしたらいいですか」とか言っていたので、

「ん~~~わかる~~~」

と思うのと同時に、

「首を垂れて人に尋ねる心意気やヨシだけど、とりあえず何でもいいから動けよ」

とも思ったからです。

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